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ホ・オポノポノについて!
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ホ・オポノポノは、ネイティブハワイアンの伝統的な「問題解決」方法です。
Ho`oは、cause(引き起こす)ponoponoは、enlightenment(覚醒、ゼロ)という意味のハワイ語で、あなたを覚醒、悟りへと導くことを表します。
ホ・オポノポノは、ハワイに伝わるセルフクレンジングの儀式で、 何億年もの過去から貯めてきたネガティブな記憶を消去し、聖なるエネルギーを呼び込むことによって、ひらめきやインスピレーションを得、自分が覚醒されることによって問題を消していく方法なのです。

これを、ハワイ伝統医療のスペシャリストで「ハワイの人間州宝」の故(1983)モーナ・ナラマク・シメオナ女史が現代社会で活用できるようアレンジしたのが 「 Self I-dentity Through Ho'opnopono(ホ・オポノポノ)」です。
モーナ女史亡き後、イハレアカラ・ヒュー・レン博士が日本をはじめとして、各国に「Self I-dentity Through Ho'opnopono(ホ・オポノポノ)」を広めています。

一例として: 国連、UNESCO、WHO(世界保健機関)、ハワイ州立大学ほかで講演。 1992年7月12日には国連ニューヨーク支部デュモントプラザにて「国連員のためのベーシック1、2クラス」を開催されたそうです。

イハレアカラ・ヒュー・レン博士につては 「ザ・シークレット」の Dr. Joe Vitale 氏記述の「ヒュー・レン博士について」がありますので、そちらをご覧ください。


Self I-dentity Through Ho'opnopono(ホ・オポノポノ)」は、 現在の多様な文化的・社会的背景からなる南北アメリカや欧州で実践されつつ、さまざまな国際会議、高等教育の場へも紹介されてきました。 ホ・オポノポノ!、その目指すところは、「この地球上に人間として生を受けたことの個人的な意味」をより豊かに理解し、 さらなる気付きへと歩みを深めることです。

具体的には、自分の身の回りに起こるすべての出来事は自分に原因があり、 過去の自分の記憶がそれらを引き起こしているのだという考えで、 それらをクリアーにし、人間関係、健康、豊かさ、様々な問題を解決するために、 以下の四つの言葉を唱えればいいというものです。
イハレアカラ・ヒュー・レン博士は、これをクリーニングと呼んでいます!


 ■ I'm sorry (ごめんなさい)

 ■ Please forgive me (許してね)

 ■ I love you (愛してます)

 ■ Thank you (ありがとう)



Self I-dentity Through Ho'opnopono(ホ・オポノポノ)
これは「慈悲の瞑想」のハワイ版といったところでしょうか!
とても簡単なので、ぜひ日頃の生活に取り入れてみてください。
すぐに効果が現れなくても、続けることできっと何かが変わるはずです!

この「Self I-dentity Through Ho'opnopono(ホ・オポノポノ)」について、 もっと詳しくお知りになりたい方は、イハレアカラ・ヒュー・レン博士による手記「誰の責任なのか?」をご覧ください!


ヒュー・レン博士byJoeVitale ヒュー・レン博士について by Dr. Joe Vitale
ヒュー・レン博士byJoeVitale
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Dr. Joe Vitale And Dr. Ihaleakala Hew Len

私は二年前に、ハワイに住む一人のセラピストの話を聞いた。 その人は触法精神障害者(注釈:刑法罰に問われる犯罪を侵したものの、 精神障害を理由に不起訴、減刑、あるいは無罪となった人のこと) の病棟に収容されていた人たち全員を、 誰一人直接診察することなく癒したそうだ。 そのセラピストは患者のカルテを読み、 「自分が」どのようにして その人の病気を創りだしたのかを理解するために、 自分の内側を見たのだそうだ。そして、彼が自分自身を癒すにつれて、患者も改善したという。

最初にこの話を聞いたとき、都市伝説だと思った。 自分自身を癒すことによって 他の誰かを癒すなんてことがどうやってできるだろう? 最高の自己改善の達人であったとしても、 どうやって犯罪を侵すようなひどい精神障害者を癒すことができるだろう? 私には理解できなかった。 論理的な話ではなかったので当時の私は受け入れなかった。

しかし、一年後に同じ話をまた聞くことになった。 セラピストはホ・オポノポノというハワイの癒しのプロセスを使ったのだという。 初めて聞くものだったが、忘れることができなかった。 もしその話が本当なら、 私はもっと知らなければならなかった。

私は「完全な責任」とは、私の言動に対する責任は私にあるという意味だと前々から理解していた。一方で、 他人の言動のことは、自分の管理を離れていると。ほとんどの人たちは完全な責任というものを そのように考えているのではないかと思う。私たちは自分の行いに対して責任があるのであって、他の人の行いに対してではない。精神病の人々を癒したハワイのセラピストは、 私に「完全な責任」についてのより発展した新しい観点を教えてくれることになった。

彼の名はイハレアカラ・ヒュー・レン博士。 私たちは最初の電話でたぶん一時間は話しただろう。 彼にセラピストとしての仕事の全貌を 語ってくれるようお願いした。 彼はハワイ州立病院で4年間働いたことを話してくれた。 触法精神障害者を収容していた病棟は危険なところで、 心理学者は月単位でやめていき、 職員はよく病欠の電話をかけてきて、やめていく人もいたそうだ。人々がその病棟内を歩くときには、患者に攻撃されないように壁に背中をくっつけて通ったらしい。それは生活するにも働くにも訪ねるにも心地よい場所ではなかった。

レン博士は実際には、一度も患者を直接には診なかったのだそうだ。 彼は自分の診療室を持ち、その部屋で患者のカルテに目を通すことに合意した。 それらのファイルを見ながら、彼は自分自身に働きかけた。そして彼が自分自身に働きかけるにつれて、患者に癒しが起きはじめた。

2、3月後には、以前は手足を縛られていた患者たちが、自由に歩くことを許可されていました」と彼は言った。 「多量の投薬が必要だった人たちは、投薬をやめつつありました。そして退院の見込みのなかった人たちが退院していったのです。

私は畏敬の念に打たれた。

それだけではありません」彼は続けた。
職員が仕事に来ることを楽しみ始めたのです。常習的欠勤や退職は消え去りました。患者は退院していくし、職員全員が仕事に来るようになったので、最後には必要以上の人数の職員が残りました。現在、その病棟は閉鎖されています。

ここで私は問わなければ気がすまなかった。「それらの人々に変化をもたらすようなどんな事を、あなたは自分自身の中で行っていたのですか?

私は彼らを創りだした自分の中の部分(パート)を癒していただけです」と彼は言いました。

最初、私には分からなかった。

レン博士は説明した。
あなたの人生への完全な責任とは、あなたの人生の中の全てが単にそれがあなたの人生に存在しているというだけの理由であなたの責任なのだ」と。文字どおりの意味で、全世界があなたの創造なのだと。

ヒャー。これはなかなか納得できるものではない。自分の言動が自分の責任だということと、 私の人生におけるあらゆる人の言動の責任が私にあるというのは全く別の話ではないか。それにもかかわらず、実際のところは、もしあなたが自分の人生の全責任を負うならば、あなたが見たり、聞いたり、触れたり、その他どんな方法であれ、あなたが経験する全てがあなたの責任なのだ。それはあなたの人生の中にあるのだから。

これはつまり、テロリストの活動、大統領の決断、経済活動など、あなたが経験していて好きではないことを癒すのは、あなた次第だということである。言ってみれば、それらは存在してはいないのだ。あなたの内面からの投影である以外には。問題は彼らに関するものではなく、あなたに関するものであり、それを変えるには、あなたはあなたを変えなくてはいけないのだ。

このことは把握するのも難しく、ましてやそれを受け入れて実際に生きることはもっと難しいとわかっている。非難のほうが、完全な責任よりもはるかに簡単である。しかし、レン博士と話すにつれて私は気づき始めた。 彼にとっての癒し、そしてホ・オポノポノにおける癒しとは、あなた自身を愛することなのだと。あなたが自分の人生を改善したければ、あなたは自分の人生を癒さなければならない。もしあなたが誰かを癒したければたとえそれが精神障害を持った犯罪者であっても? あなたはそれを、自分自身を癒すことによって行うのだ。

どのようにして自分自身を癒すことに取り組んでいたのかと私はレン博士にたずねた。患者のカルテを見ていたときに、彼は具体的には何をしていたのだろう?

「私はただ『ごめんなさい(I'm sorry)』と 愛しています(I love you)』を何度も何度も言い続けていただけです」と彼は話した。

That's it? それだけ?

That's it. それだけです。

つまり、あなた自身を愛することが、あなた自身を好転させる最も素晴らしい方法であり、あなた自身を好転させるにつれて、あなたはあなたの世界をも好転させるということだ。 (キリスト教では、これと同じ事を「何よりもまず私を愛しなさい」という神様の言葉として説明している)

これがどのように機能するかの簡単な例をあげてみよう。 ある日、誰かが私を不愉快にさせるメールを送ってきた。過去そういう時には、私は自分に感情的な反応を引き起こすものについてワークしたり、あるいは意地悪なメッセージを送ってきた人に理を説こうとすることで処理したものだった。

今回私はレン博士のメソッドを試すことにした。私は「ごめんなさい」と「愛しています」を 声に出さずに言い続けた。特定の誰かに向かって言ったわけではなかった。私はただ愛の精神を呼び起こし、この外側の状況を創り出した自分の中を癒そうとしただけだった。

一時間もしないうちに同じ人からメールが来た。彼はさっきのメッセージについて謝罪していた。 私は謝ってもらうために 外側に何も働きかけをしていないことを覚えておいてほしい。 私は返事すら書いていなかったのだ。にもかかわらず、「愛しています」と言うことで、私はどういうわけか彼という存在をこの世界にあらしめていたていた 自分の内側を癒すことができた。

その後、私はレン博士が開いたホ・オポノポノのワークショップに参加した。 彼は今では70歳で、優しい祖父のようなシャーマンと見なされていて、少々引きこもりがちである。
彼は私の著書『The Attractor Factor』をほめてくれた。私が自分を向上させるにつれて、私の本の波動が上がり、人々が本を読むときに皆それを感じるだろうと彼は語った。

要するに、私が向上すると、私の読者も向上するということだ。

すでに売られて外に出ている本についてはどうなんですか?と私はたずねた。

それらの本は外にあるのではないよ。」 と彼は述べた。 彼が持つ神秘の知恵に私はとても驚いた。「それらの本は未だにあなたの中にあるんだ

つまり、外なんてないということだ ! !

この高度な技術を、それが値する深さとともに説明しようとしたら、 本が一冊書けるだろう。あえて言うなら、あなたがあなたの人生の中のどんなものでも改善したいのなら、見るべき場所はただひとつ、あなたの中である、ということだ。

"When you look, do it with love." 「あなたが見る時は、愛をもって見るように」

by Dr. Joe Vitale



【イハレアカラ・ヒュー・レン博士/プロフィール】

  1962年コロラド大学にて学士号、1971年ユタ大学でマスターオブサイエンス、

  1973年アイオワ大学で教育長・特殊教育ディレクターの博士号を取得。

  1973-76年アイオワ大学大学長。

  1976-80年、知的障害者ハワイ協会事務局長。

  発展的な精神医学の研究家であり、トレーナー。

  触法精神障害者および発達障害者とその家族とのワーク経験でも知られる。

  国連、ユネスコ、世界平和協議会、ハワイ教育者協会などの学会グループと長年、 
  ホ・オポノポノを講演し、トレーニング活動を行っている。



誰の責任なのか? 誰の責任なのか? by Dr. Ikalehara Hew Len
誰の責任なのか?
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Dr. Ihaleakala Hew Len

この記事を読みにきてくださって、ありがとう。誠に嬉しく感謝いたします。
「セルフアイデンティティ スルー ホ・オポノポノ(SITH)」は、1982年11月にこの叡智を惜しみなく分かち合ってくれたカフーナ・ラパアウのモーナ・ナラマク・シメオナ同様、私にとってかけがえのない大切な存在です。
この記事は、2005年につくった草稿を基に構成しています。

イハレアカラ・ヒュー・レン博士

2005年1月9日

いかなる問題であろうと、「一体何が起こっているのか」を理解せずとも解決できるのです!
感謝の心でこれを悟ることが、私自身、心躍るほど愉しみのある救いとなっているほどです。
「セルフアイデンティティ スルー ホ・オポノポノ(SITH)」とは問題を解決する、つまり物事の存在理由を垣間みるということです。問題を解決するには、2つの問いを発しなければなりません:
「私」とは、何者なのか? 誰の責任なのか?
宇宙の法則を理解するために、ソクラテスの洞察を引用して始めましょう。"汝自身を知れ"

2005年1月21日

誰の責任なのか?
科学の専門家も含めて、ほとんどの人々が、物理的な存在として世界と関わっています。
心臓病、癌、糖尿病の原因特定と治療法の確立を目的とした最近のDNA研究などはまさしく、この最たる例と言えるでしょう。

         原因と結果の測定
物理的モデル
原因 結果
不完全なDNA 心臓病
不完全なDNA
不完全なDNA 糖尿病
物理的 肉体的な問題
物理的 環境の問題

知性、いわゆる意識は思い込んでいるのです。
問題を解決する者が、発生する物事や経験することのすべてを把握し、支配しているのだと。
『ユーザーイリュージョン・意識という幻想(邦題):意識の過剰評価をやめよ』の中で、著者である科学ジャーナリストのトール ノーレットランダーシュが描く「意識」は、それと異なります。多くの研究事例にあたり、特にサンフランシスコにあるカリフォルニア大学医療センターのベンジャミン・リベット教授による行動の決断は、意識が認識する前に、すでになされているという研究を引用し、こう告げています。知性は意識をしないまま、決断していると思い込んでいるに過ぎないと。

パターン
生まれた瞬間から
死のまぎわまで
従わなければならない様々なパターンがある
呼吸をしなければならないように・・・
迷路の中のネズミのように
僕の前には道が続く
そしてそのパターンは
ネズミが死ぬまで決して変わることがない

夜のとばりが降りた今も
模様は壁に残っている
そしてそれは
僕が住むべき暗闇に似合っている
この肌の色や
いずれやって来る老いる日のように
どうにも変えられないパターンで
僕の人生はできている

ポール・サイモン、詩人

ノーレットランダーシュによれば、毎秒1100万ビット以上の情報を得ながら、
「知性」が意識できるのは、15〜20ビットほどの情報にすぎない!のです。

知性、意識が果たしている役割でないなら、誰の責任なのでしょう?

2005年2月8日

記憶の再生こそが、潜在意識の経験を支配している。

潜在意識は、模倣・反響再生される記憶を追体験しているに過ぎないのです。
記憶によって支配された潜在意識は、記憶と寸分違わず作用し、見て、感じ、決定を下します。意識もまた、知らずして記憶の再生に従って動いています。様々な研究事例が示すように、記憶の再生こそが、経験そのものをも支配してしまうのです。

         原因と結果の測定
セルフアイデンティティ スルー ホ・オポノポノ(SITH)
原因 結果
潜在意識の中で再生される記憶 物理的に?心臓病
潜在意識の中で再生される記憶 物理的に? 癌
潜在意識の中で再生される記憶 物理的に? 糖尿病
潜在意識の中で再生される記憶 物理的な問題?肉体
潜在意識の中で再生される記憶 物理的な問題?世界

肉体と世界は、記憶再生の産物として、潜在意識の中に存在しているのです。
あるいは例外的にひらめきとして。

2005年2月23日

潜在意識や意識という、魂を包括するものが、自らのアイデア、考え、感情、
行動を引き起こしているのではありません。既に述べた通り、潜在意識や
意識は、記憶の再生かひらめきを追体験しているだけなのです。

しかし人はとかく、めいめい思い思いに、
物事の本来には無関係な解釈を下すものです
     ウィリアム・シェイクスピア、脚本家

魂それ自体が経験を生み出しているのではないと悟ることが絶対的に必要です。
魂は、記憶が見るように見るのです;記憶が感じるように感じ;記憶が振る舞うように振る舞い、記憶が決めたように決めるのです。あるいはごく例外的に、ひらめきが見て、感じて、振る舞い、決定するように見て、感じて、振る舞い、決めているのです!

肉体と世界とは、それ自体が問題なわけでも問題を孕んでいるのでもなく、潜在意識の中で再生される記憶の結果に過ぎないと悟ることこそが、問題解決のカギなのです! であるならば、誰の責任なのでしょう?

あわれな魂よ、肉欲の反乱軍に制圧された
罪深い土くれの、その中心にあるものよ
どうしておまえは外壁をぜいたくに飾りながら
内側ではやせおとろえ、飢えに苦しむのだ?
         シェークスピア、詩人

2005年3月12日

無こそが、心と宇宙に根ざした自己を確立するための基礎なのです。つまり神性なる知能(Divine Intelligence)が潜在意識の中にひらめきを吹き込む前に、この状態になるのです。

科学者が知っているのは、宇宙が無から産まれたこと、そして無に帰るということだけである。宇宙はゼロからはじまり、ゼロに終わるのだ。チャールズ・サイフェ、異端の数ゼロ:数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念(邦題)

無の状態の自己は、記憶が再生されるとすぐに変位し、ひらめきが顕現するのを
妨げてしまいます。この状態を修復し、自己を再構築するためには、神性なる知能
の力を借りて記憶を無に変換しなければなりません。

きれいになさい、消して、消して、自分だけのシャングリラを見つけるのです
どこに? あなた自身の内に

       モーナ・ナラマク・シメオナ、カフーナ・ラパアウ

どんな石の塔獄も、どんな黄銅(しんちゅう)の城壁も、
どんな深い穴牢も、どんな堅固な鉄の鎖も、
斯うと決心した精神を制抑する力は無い。

          ウィリアム・シェークスピア、脚本家

2005年3月22日

存在する、ということは神性なる存在から与えられた贈り物なのです。そして唯一
問題解決を通して自己を再構築するためだけに、この贈り物は与えられたのです。
「セルフアイデンティティ スルー ホ・オポノポノ(SITH)」は、古代ハワイに伝わる「悔悟し、
許し、変換する」という問題解決プロセスを現代化した最新版・問題解決法です。

人を裁かないこと。そうすれば、あなたも裁かれないでしょう。非難しないことです、そうすれば、あなたも非難されないでしょう。許せば、あなたも許されるのです。

             イエス・キリストの言葉、ルカの福音書6

ホ・オポノポノでは、自己を司る4つの要素すべてが関与します:神性なる存在、超意識、意識、潜在意識 これらが、ひとつの共同体として働くのです。

潜在意識の中で記憶が再生され続けるという問題を解決するために、それぞれの要素にはユニークな役割と機能があります。

記憶は潜在意識の中で再生されるため、超意識はその影響を受けず、記憶からは自由です。

超意識と神性なる存在は常に一体です。従ってどのように神性なる存在が動こうとも、超意識もともに動きます。

自己を操作しているのは、ひらめきか記憶です。記憶かひらめきのどちらか一方のみが、毎瞬ごとの潜在意識に命令できることになっています。自己の魂は、どちらか一方の指示にしか従えないため、たいてい記憶のトゲに従ってしまいます。ひらめきに従えばバラ色なのに。


2005年4月30日

私は自ら悲しみを作りだしては、消費しているにすぎない

               ジョン・クレア、詩人

無は、生物・無生物にかかわらず、自己という存在すべてが共通して持っている
平衡装置であり、可視・不可視にかかわらず、宇宙全体の不滅・永遠の基盤なのです。

われらは以下の真理が自明のものであると認識する。
すなわちすべて人間(とすべてのいのち)は平等な存在として
この世に生まれているということを。

              トマス・ジェファーソン、独立宣言著者

記憶が再生されると、自己の存在にとっての大前提が変位するため、
心の魂は本来の状態である無と無限から遠ざけられてしまいます。
記憶は無の状態を変位させますが、破壊することはできません。
無のものを、どうやって壊せましょう?!

ばらばらに分れた家は、立っていることができない
            アブラハム・リンカーン合州国大統領

2005年5月12日

意識は、ホ・オポノポノのプロセスを踏んで記憶を解き放つこともできますが、
非難と思考に記憶を縛りつけたままでいることもできます。

1.意識がホ・オポノポノによる問題解決のプロセスを開始すると、神性なる存在に請願し、記憶を無に変換します。潜在意識の中で起こっている記憶の再生こそが問題であると理解し、100%の責任を担うのです。請願は意識から潜在意識に 下ります。

2.潜在意識へと流れ降りた請願は、記憶をやさしくかきまぜて変換に導きます。
そこでようやく請願が、潜在意識から超意識へと昇っていくのです。そして・・・

3.超意識が請願を再吟味し、適切に修正します。常に神性なる存在と波調を合わせている超意識だからこそ、再吟味や修正といったことができるのです。そこで請願が神性なる存在に上げられて、最終的な精査・検討がなされます。

4.超意識から上げられてきた請願に対してさらなる精査をし終えると、神性なる存在は変換させるエネルギーを超意識に流し込みます。

5.変換のためのエネルギーは、超意識から意識へと流れ込みます。

6.そして意識から潜在意識へと流れると、指名された記憶が中和され、効力を失います。
中和されたエネルギーは解き放たれることで、無から去るのです。

2005年6月12日

思考や非難(図3参照)なども記憶の再生によるものです。
魂は、現状を把握せずとも神性なる存在のひらめきを得ることができるのです。ひらめき、
つまり神性なる創造性を得るために自己に課せられていることは唯ひとつ、自己らしくある
ことなのです。自己であるために必要なことは、一瞬ごとに記憶を浄化することなのです。

記憶は常に潜在意識の友であり、記憶が休暇をとって潜在意識を離れることなど
ありません。退職を迎えて潜在意識を去ることもありません。記憶は絶え間なく再生
し続けるのです!

法律家の話
あぁ、突然のような悲痛でさえ身近なものだ
現世の至福にこそ苦しみは散在し
苦労して得た歓喜の末に待っているのはいつも、悲痛なのだ
よく用心するがよい
喜びに心満たされるときも、
知られざる悪が背後で頭をもたげていることを!
       ジェフリー・チョーサー「カンタベリー物語」

記憶との関係をきっぱり絶つためには、記憶をきっぱりと浄化し、無にしなければなりません。

私が2度目の恋に文字通り頭から落ちたのは、1971年アイオワでのこと。
かけがえのない私たちの娘、Mが生まれたのです。

妻がMの世話をする姿を見るにつけ、妻とMの大切さが身にしみて 深まっていきました。
素晴らしい、かけがえのない家族ができたのです。

ユタで大学院を修了した夏、妻と私は二つの選択肢を迫られていました。
ハワイの自宅に戻るか、アイオワ州で大学院のトレーニングを続けるか。

アイオワでの人生をスタートさせてすぐ、二つの困難に直面しました。
ひとつめは、病院から連れ帰った途端、Mが泣き止まなくなったこと。

ふたつめは、アイオワ州始まって以来最悪の冬がやってきたこと。
私自身、何週間にも渡って毎朝アパートの正面玄関の下を内側から蹴ったり、
槌でドアの縁を打っては、外側に張っている氷を壊さねばならないほどでした。

最初の一年間、Mの毛布は血痕だらけでした。
この文章を書いている今になって気づいたのですが、
Mがとめどなく泣いていたのは、肌のひどい不調に対する反応だったのです。

Mが眠りながらも発作的にかきむしる姿を見るにつけ、
私は無力感から幾夜を泣き過ごしました。
ステロイド系の薬は、何の助けにもならず、無力であることも知りました。

Mが3歳になっても、肘とひざにできたひびから絶え間なく血が染み出ていました。
Mの手足問わず指の関節周りのひびから、血が滴っていました。腕と首の周りには
固い皮膚の厚いマントが覆っていました。

9年後のある日、Mが12歳だったでしょうか。Mと下の娘を車に乗せて帰途に
ついていた私でしたが、突然、意識的な先見もなく車の向きを変えると、
ワイキキにあるオフィスの方へ向かって車を走らせていたのです。

「まあ、私に会いにきたのね」私たち3人が彼女のオフィスに入ると、
モーナがささやきました。 机上の書類をまとめながら、モーナはMを見上げて
「私に何か尋ねたいことがあるのね?」と柔らかく言ったのです。

Mは、両腕を広げて動かしました。
まるでフェニキアの巻き物を上げ下げするかのように。
これまで何年も積み重ねてきた痛みと深い悲しみを明かすかのように。
「分かったわ」モーナはそう答えると、目をつむりました。

モーナがしたこと?セルフアイデンティティ スルー ホ・オポノポノ(SITH)の創造者自らが
セルフアイデンティティ スルー ホ・オポノポノ(SITH)を施してくれたのです。
1年後、13年におよぶ出血、恐怖、痛み、深い悲しみ、薬物療法のすべてが
終わりを遂げました。

セルフアイデンティティ スルー ホ・オポノポノ(SITH)の生徒

2005年5月5日

自己が、瞬時にいたるまで常に自己であるためには、絶え間なくホ・オポノポノし続ける
ことが必要です。記憶同様、絶え間ないホ・オポノポノも休暇を取ることがありません。
定年を迎えることもありません。絶え間ないホ・オポノポノは眠ることもなければ、
止まることもないのです。なぜなら・・・

喜びに心満たされるときも、
知られざる悪(記憶の再生)が背後で頭をもたげているのだから!

2005年 6月30日

人生の目的とは、神性なるものが自身の肖像をつくるがごとく創造した自己、つまり無と無限
であり続けることです。

人生で経験することはすべて、記憶の再生を表現したものか、ひらめきの表現なのです。
鬱、思考、非難、貧困、憎しみ、憤り、悲痛は、シェークスピアがあるソネットで記したように
「・・・すでに呻き悲しむ前提がゆえの結果」にすぎないのです。

絶え間ない浄化を始めるのか、絶え間なく記憶が問題を再生するままにしておくのか。
意識は選択できるのです。

2005年12月12日

意識そのものは、神性なる知能が与えてくれる最も貴重な贈り物:自己に対して
無知なのです。同様に、問題とは何かについても無知です。この無知のせいで
問題は解決されることもなく、成果のない結果に終わるのです。可哀想な魂は、
絶え間ない不必要な悲痛とともに生涯とり残されるのです。何と嘆かわしい。

意識は、「・・・すべての理解を超えた幸」つまり自己という贈り物に目覚めなくてはなりません。

生来の自己は、創造主つまり神性なる知能のように不滅であり、永遠です。 何世代にも渡る
無意味で容赦のない貧困、病気、戦争、死という、誤った現実こそ、無知がつくりあげた結果
なのです。

2005年12月24日

物質界とは、記憶の再生かひらめきが自己の魂内部で起こしている現象です。
自己の状態を変えれば、物質界の状態も変わるのです。

誰に任せるのか?・・・ひらめき、それとも記憶の再生?
どちらを選ぶかは、意識次第なのです。

2006年2月7日(2006年に飛びます)

ここで「セルフアイデンティティ スルー ホ・オポノポノ(SITH)」における4つの問題解決プロセスを
ご紹介しましょう。潜在意識の中で記憶が再生される問題を無くし、自己を再構築する
ために使ってください。

1.「愛しています」 記憶が再生されて困っているとき、心の中であるいは実際に囁いて
   みましょう。「あなた(特定の記憶)を愛しています。あなたも私もともに自由になる
   この機会が与えられたことを、本当にありがとう」と。「愛しています」は静かに
   何度でも繰り返して構いません。自らすすんで手放さない限り、記憶は決して休暇
   を取ったり引退しないのですから。「愛しています」は問題そのものを意識して
   いないときでも使えます。例えば、電話に出る、あるいは車に乗ってどこかへ出か
   けるなど、何らかの行動を起こす前にも使えるのです。

汝の敵を大切にせよ、汝を嫌うものに、善きことをせよ。
       イエス・キリストの言葉、ルカの福音書6

2.「ありがとう」 このプロセスは、「愛しています」と一緒にあるいは代用として使い
   ます。「愛しています」同様、心の中で何度でも繰り返してください。

3.ブルー・ソーラー・ウォーター:水をたっぷり飲むことも、問題解決のすばらしい
  実践法です。水がブルー・ソーラー・ウォーターであれば、なおさらです。
  非金属の蓋がついた青いガラスの容器を用意してください。水道の水を容器に入れ、
  日光の下か白熱灯(蛍光灯はダメ)の下に1時間以上置いておきます。水が太陽光に
  浸された後は、様々な用途に使うことができます。飲んでよし、料理に使ってよし、
  風呂やシャワー後に、かけ湯として使ってもよいでしょう。
  フルーツや野菜もブルーソーラーウォーターで洗うと喜びます!「愛しています」
  「ありがとう」のプロセスと一緒に、ブルーソーラーウォーターは潜在意識の中で
  再生される記憶を無にします。さあ、飲んで流し去ってしまいましょう!

4.いちごとブルーベリー:これらのフルーツは記憶を無にしてくれます。
  生でもドライでも、ジャムでもゼリーでも、アイスクリームにかけるシロップでも
  構わないのです!

2005年12月27日(2005年に戻ります)

ほんの数ヶ月前、「セルフアイデンティティ スルー ホ・オポノポノ(SITH)」に不可欠な「キャラクター」
に関してはセリフのような用語集にすることを思いつきました。愉しんで読めば一層、
馴染んでくるでしょう。

1.自己(セルフ・アイデンティティ):私は自己です。
  4つの要素から成っています。神性なる存在、超意識、意識、潜在意識です。
  私は無と無限からなっており、神性なる存在のレプリカです。

2.神性なる存在:私は神性なる存在です。私は無限であり、すべての自己とひらめき
  を創造しています。私が記憶を無に変換しています。

3.超意識:私は超意識です。私は意識と潜在意識を監督しています。意識が
  ホ・オポノポノの請願を始めると、それを吟味し、適切な形に変え、神性なる知能に
  送っています。
  私は潜在意識の中で再生される記憶に影響されることがありません。
  私は常に神性なる存在とひとつです。

4.意識:私は意識です。選択という贈り物が与えられています。潜在意識が経験する
  事柄を、絶え間のない記憶によって支配することができます、しかしホ・オポノポノ
  を絶え間なく実践することで、私だけが記憶や潜在意識を解き放つ作業を開始する
  ことができます。
  私は神性なる存在からの指示を受けたいと請うこともできます。

5.潜在意識:私は潜在意識です。創造の始まりから溜め込まれたすべての記憶の
  保管庫です。経験は私の中で、記憶の再生かひらめきとして経験されます。
  肉体と世界は、記憶の再生として、あるいはひらめきとして私の中に存在して
  います。記憶の反応として、問題が住んでいる場所、それが私です。

6.無:私は無です。私は自己と宇宙の基盤です。私は神性なる存在が湧き出る場
  であり、無限です。潜在意識の中で記憶が再生されてしまうと、私は変位して
  しまいます。それで破壊されるわけではありませんが、神性なる存在から
  ひらめきが入ってくる妨げになります。

7.無限:私は無限であり、神性なる存在です。ひらめきは儚いバラのように、
  私から自己の無に流れ込み、記憶のトゲによってたやすく変位してしまいます。

8.ひらめき:私はひらめきです。無限、神性なる存在による創造物であり、無から
  潜在意識の中に現れます。私はまったく新しい出来事として経験されます。

9.記憶:私は記憶です。潜在意識の中に記録されている過去の経験です。引き金が
  引かれると、過去の経験を再生します。

10.問題:私は問題です。潜在意識の中で繰り返し再生される過去の経験であり、
  記憶です。

11.経験:私は経験です。潜在意識で起こっている記憶の再生あるいはひらめきの
  結果です。

12.オペレーティングシステム:私はOSです。無、ひらめき、記憶を使って自己を
  操作しています。

13.ホ・オポノポノ:私はホ・オポノポノです。ハワイの伝統的な問題解決プロセスを
  今日に通用するようモーナが現代化したものです。カフーナ・ラパアウだった
  モーナ・ナラマク・シメオナは1983年に"Living Treasure of Hawaii"
  (ハワイの人間州宝)に選ばれています。私は3つの要素:悔悟・許し・変換から
  構成されます。「記憶を無にして自己を再構築したい」と意識が神性なる存在に
  対して行う請願です。私は意識の中で始まります。

14.悔悟: 私は悔悟です。 ホ・オポノポノの過程は、私から始まります。
  「記憶を無に変えてください」という意識からの願いであり、神性なる知能に
  対する陳情です。私とともに、意識は自覚します。潜在意識のなかで記憶が再生
  されてしまう問題はすべて自らがつくり、受け容れ、溜め込んだものだということ
  を。そして責任を受け容れるのです。

15.許し:私は許しです。悔悟と同時になされ、「潜在意識の中にある記憶を無にして
  ほしい」という意識の願い、神性なる存在への請願です。意識は悲観している
  だけでなく、神性なる存在に対して許しを請うているのです。

16.変換:私は変換です。神性なる存在は、私を使うことで潜在意識の中にある記憶を
  中和し、解き放って無にするのです。

17.幸:私は幸であり、自己です。

18.貧困:私は貧困です。記憶再生の産物であり、自己実現を妨げます。自己を変位
  させ、神性なる存在が潜在意識に送ってくるひらめきが顕現するのを妨げます。


願わくば、すべての理解を超えた平和が皆様に訪れますことを。

O Ka Maluhia no me oe.

皆様が平和とともにありますように。


イハレアカラ・ヒュー・レン博士




Charlie Yokoyama


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